橤橤

気にしなくていいことは、気にしないルールだよ

自分を好きになるための研究、自分の更新(2)

恋愛、結婚、出産ついて考えるブームは
今考えれば何も考えずすんなりできる人が羨ましく 私はそうなりたかったんだと思う
つまり感情的な自分を取り戻したい
恋愛は特に感情的にならないとできず
あの一件があってから自分が感情的になるのが怖く、恥ずかしかった
恋愛ついて考えていた頃
本当に人を好きになること、本当の男女の恋愛とは何かということにこだわり過ぎて破局を繰り返す
これを考えるのは結構楽しかった
結局人を好きになるってどういう状態か、
本当の恋愛か何かはわからないままだ
感情むき出しの状態でできるのは全て恋愛だという結論を出している
結論はそう思いたい、都合のいい結論だと思う

あの人の話に戻る
私は傷付けられた対象である人を研究しようと思った 彼に再び近づき自分への気持ちの有無やもう一度人間関係をやり直せるかどうかを確認する必要があった
結婚ブームだったので一夫多妻、多夫多妻の話をすることが多かった
結局自分の都合がよく結論を出していて
昔あった一夫多妻制の話を引っ張り出してはずっとしゃべっているけど
1対1の恋愛ができない=できないという思い込みが強い為できない自分になっている=そんな自分を知らないのだと思った
私は彼を私と出会った中で一番物知りだと感じていたけど
発達障害精神障害はアクセサリーに過ぎないし
精神障害者という先入観で私がペナルティを与え過ぎて認識してたんだと思った
理性的な自分というものは彼にはほぼないと感じており、感情的な他人を否定するために思考してるんじゃないかと思っている
つまり自分が傷付かないように癒されるように考えている
これはこの人に限らず私にだって他の人にだってある感情なのでなんの変わったところもないということになる

そして相互治癒という慰め合いだったと私は結論づける
大きなオナニーに付き合わされたのだと思う
これが私だけではなく、今まで沢山のほぼ未成年の若い女が騙されていたことを聞き
実際に知り合い、
10代〜20代なんか多感でいろんな可能性を秘めた子供が疲弊してボロボロになってしまうことを
とても悲しいしやりきれないと思う
自分がもっとも嫌いな対象に自分がなってることに気が付いてないのかもしれない
繰り返しているから多分気づいててもどうしようもないのかもしれない

そして友達を頑なに居ないと言っていて私とも友達になりたがらないのは一定のなにか基準があったんだろうと思った
友達に基準を設けるのは自分が傷つきたくないことを声を大にして言ってることと同じなのではないかと思う 期待して裏切られたくないのだと思う
友達とは自分の一部のように感じる
人と密接に関わりたいけど傷つきたくないという気持ちは傷ついた経験があるとずっと持ち続けるように思う
実際彼はほぼ治っているか、あまり病名は意味をなさなくなっている
精神障害者枠で頑張っているので精神障害であることは大きなアイデンティティなのだと思う
近寄ってくる若い子も同じ印を持っていたほうが関わりやすい
子供は同じ印がついてることに対し何も考えずに飛びついてしまうことが多い
同じ印であれば疑いもなく仲良くなれる錯覚が働くのかもしれない 実際私はそうだった

何ヶ月か過ごした為か愛着が湧き自分の中の感情的な自分が悲鳴をあげてこの研究はおわり
今は彼を英雄化していた自分がとても恥ずかしいと思っている
どうやったら彼を救えるかより
どうやったら搾取される弱者がなくなるかを考えたほうがいくらかマシな気がするけど
キリがないのでこの話はやめます